<Header>
<Author: 白居易>
<Title: 遊悟真寺詩>
<Format: 五言排律>
<Year: 1964>
<BookName: 漢詩大系  白樂天>
<Translator: 田中克己>
<style: 現代文無假名>
<style2: 日本現代譯文無假名標注>
<TranslatedTitle: 悟真寺（ごしんじ）に遊（あそ）ぶの詩（し）>
<BookPage: 198-219>
<UsedPage: 22>
<Feature: 1, 4>
<End Header>
<Poem>
元和九年秋，
八月月上弦。
我遊悟真寺，
寺在王順山。
去山四五里，
先聞水潺湲。
自茲舍車馬，
始涉藍溪灣。
手拄青竹杖，
足蹋白石灘。
漸怪耳目曠，
不聞人世喧。
山下望山上，
初疑不可攀。
誰知中有路，
盤折通岩巔。
一息幡竿下，
再休石龕邊。
龕間長丈餘，
門戶無扃關。
仰窺不見人，
石發垂若鬟。
驚出白蝙蝠，
雙飛如雪翻。
回首寺門望，
青崖夾朱軒。
如擘山腹開，
置寺於其間。
入門無平地，
地窄虛空寬。
房廊與台殿，
高下隨峰巒。
岩崿無撮土，
樹木多瘦堅。
根株抱石長，
屈曲蟲蛇蟠。
松桂亂無行，
四時鬱芊芊。
枝梢嫋青翠，
韻若風中弦。
日月光不透，
綠陰相交延。
幽鳥時一聲，
聞之似寒蟬。
首憩賓位亭，
就坐未及安。
須臾開北戶，
萬里明豁然。
拂簷虹霏微，
繞棟雲迴旋。
赤日間白雨，
陰晴同一川。
野綠簇草樹，
眼界吞秦原。
渭水細不見，
漢陵小於拳。
卻顧來時路，
縈紆映朱欄。
歷歷上山人，
一一遙可觀。
前對多寶塔，
風鐸鳴四端。
欒櫨與戶牖，
恰恰金碧繁。
雲昔迦葉佛，
此地坐涅盤。
至今鐵缽在，
當底手跡穿。
西開玉像殿，
白佛森比肩。
斗藪塵埃衣，
禮拜冰雪顏。
疊霜為袈裟，
貫雹為華鬘。
逼觀疑鬼功，
其跡非雕鐫。
次登觀音堂，
未到聞栴檀。
上階脫雙履，
斂足升淨筵。
六楹排玉鏡，
四座敷金鈿。
黑夜自光明，
不待燈燭燃。
眾寶互低昂，
碧佩珊瑚幡。
風來似天樂，
相觸聲珊珊。
白珠垂露凝，
赤珠滴血殷。
點綴佛髻上，
合為七寶冠。
雙瓶白琉璃，
色若秋水寒。
隔瓶見舍利，
圓轉如金丹。
玉笛何代物，
天人施祇園。
吹如秋鶴聲，
可以降靈仙。
是時秋方中，
三五月正圓。
寶堂豁三門，
金魄當其前。
月與寶相射，
晶光爭鮮妍。
照人心骨冷，
竟夕不欲眠。
曉尋南塔路，
亂竹低嬋娟。
林幽不逢人，
寒蝶飛翾翾。
山果不識名，
離離夾道蕃。
足以療饑乏，
摘嘗味甘酸。
道南藍穀神，
紫傘白紙錢。
若歲有水旱，
詔使修蘋蘩。
以地清淨故，
獻奠無葷膻。
危石疊四五，
靁嵬欹且刓。
造物者何意，
堆在岩東偏。
冷滑無人跡，
苔點如花箋。
我來登上頭，
下臨不測淵。
目眩手足掉，
不敢低頭看。
風從石下生，
薄人而上摶。
衣服似羽翮，
開張欲飛鶱。
雙雙三面峰，
峰尖刀劍攢。
往往白雲過，
決開露青天。
西北日落時，
夕暉紅團團。
千里翠屏外，
走下丹砂丸。
東南月上時，
夜氣青漫漫。
百丈碧潭底，
寫出黃金盤。
藍水色似藍，
日夜長潺潺。
周回繞山轉，
下視如青環。
或鋪為慢流，
或激為奔湍。
泓澄最深處，
浮出蛟龍涎。
側身入其中，
懸磴尤險艱。
捫蘿蹋樛木，
下逐飲澗猿。
雪迸起白鷺，
錦跳驚紅鱣。
歇定方盥漱，
濯去支體煩。
淺深皆洞徹，
可照腦與肝。
但愛清見底，
欲尋不知源。
東崖饒怪石，
積甃蒼琅玕。
溫潤發於外，
其間韞璵璠。
卞和死已久，
良玉多棄捐。
或時泄光彩，
夜與星月連。
中頂最高峰，
拄天青玉竿。
𪕍𪕌上不得，
豈我能攀援。
上有白蓮池，
素葩覆清瀾。
聞名不可到，
處所非人寰。
又有一片石，
大如方尺磚。
插在半壁上，
其下萬仞懸。
雲有過去師，
坐得無生禪。
號為定心石，
長老世相傳。
卻上謁仙祠，
蔓草生綿綿。
昔聞王氏子，
羽化升上玄。
其西曬藥台，
猶對芝朮田。
時復明月夜，
上聞黃鶴言。
回尋畫龍堂，
二叟鬢髮斑。
想見聽法時，
歡喜禮印壇。
復歸泉窟下，
化作龍蜿蜒。
階前石孔在，
欲雨生白煙。
往有寫經僧，
身靜心精專。
感彼雲外鴿，
群飛千翩翩。
來添硯中水，
去吸岩底泉。
一日三往復，
時節長不愆。
經成號聖僧，
弟子名楊難。
誦此蓮花偈，
數滿百億千。
身壞口不壞，
舌根如紅蓮。
顱骨今不見，
石函尚存焉。
粉壁有吳畫，
筆彩依舊鮮。
素屏有褚書，
墨色如新乾。
靈境與異跡，
周覽無不殫。
一遊五晝夜，
欲返仍盤桓。
我本山中人，
誤為時網牽。
牽率使讀書，
推挽令效官。
既登文字科，
又忝諫諍員。
拙直不合時，
無益同素餐。
以此自慚惕，
戚戚常寡歡。
無成心力盡，
未老形骸殘。
今來脫簪組，
始覺離憂患。
及為山水遊，
彌得縱疏頑。
野麋斷羈絆，
行走無拘攣。
池魚放入海，
一往何時還。
身著居士衣，
手把南華篇。
終來此山住，
永謝區中緣。
我今四十餘，
從此終身閑。
若以七十期，
猶得三十年。
<End Poem>
<Translation>
元和九年の秋、八月の上弦のころ、 
わたしは悟真寺に遊んだが、寺は玉順山にある。
山から四、五里のところで、まず谷川の水のせせらぎを聞いた。
ここから車や馬をすて、はじめて藍渓の曲がりをわたった。
わたしは手に青竹の杖をつき、白い石の多い瀬をふんだ。
だんだん見はらしがひろくなり、耳にも俗世間の雑音がきこえなくなった。
山下から山上をながめると、はじめは登れないかと思った。
ところが中に路があって、折れ曲がって岩の頂に通じていたのだった。
まず旅さおのところで休憩し、二度めは石の厨子のところで休んだ。
厨子は一丈あまりの間口で、入口には扉もない。
のぞきこんだが気はなく、シダがおさげのように垂れている。
中から白いコウモリが驚いて飛び出し、ならんで飛ぶさまは吹雪のようである。
ふりかえって寺の門の方を見ると、青い崖の間に朱ぬりの建物がある。
山腹を切りひらいて、そのあいだに寺を建てているのである。
門をはいると平地はなく、地面はせまく広いのは空だけである
山房や廻廊や台や殿堂は、山の形勢にしたがって上下に建てられている。
岩や崖には一つまみの土もなく、樹木もやせて堅いのばかりだ。
根や株は石を抱いて長くのび、まがりくねって大蛇がわだかまっているようだ。
松や桂が行列などにならないではえ、春夏秋冬いつもこんもりと茂っている。
枝をわたる風は清らかな音をたて、風が琴をひいているようだ
日や月の光は下までとおらず、枝かげがまじりあっている。
物かげで鳥が時どき鳴くが、そのこえは寒せミそっくりだ。
わたしはまず賓位亭で休憩したが、坐っていてなんだかおちつかない。
やがて北の戸をあけると、遠くまで見晴らしがひらけている。
軒には虹がうすくかかり、棟をば雲がとりまいている。
照るかと思えば夕だちがして、一つの川の流域で晴れたところと曇ったところがある。
平野の緑色のところは草や木がむれているからで、長安地方は一望だ。
渭水は細すぎて見えず、漢の諸帝の慶はこぶしより小さい。
来る時の路をふり返ってみると、うねうねした小路が朱の欄干
と相映じている。
山にのぼって来る人はありありと、一人一人がわかる。
この亭の向かいには多宝塔があって、その軒の四方には風鈴がちりちりと鳴っている。
ヒジキやマスガタや戸や窓は、金と青と色彩が調和している。
きけば「むかし迦薬菩薩が、ここで涅盤にはいられた」とのことだ。 いかにもその鉄鉢がいまだにあって、底には手のあとがついている。
西には玉像殿が建っていて、白い仏像がおごそかにならんで立っている。
塵によごれた衣をはらって、氷や雪のように清らかなお顔に拝礼した。
この仏たちは霜をたたんで袈裟とし、雹を華鬘としているかのよう。
近よって見ても鬼神の手に成るかと思われる、人間の彫刻とは信じられない。
次に観音堂にのぼったが、ゆく途中でもう梅檀香のにおいがした。
階段をのぼると履をぬぎ、つつしんで荘厳な席にのぼった。
六本の柱には玉の鏡がならべられ、満座に金や螺鋼が敷きつめてある。
暗夜でもあかるく、灯燭をつけなくてもよいのだ。
多くの宝物が上下にならべてあり、碧玉の佩や珊瑚の幡がある。 
風が吹いてくると天上の音楽のように、これらの宝物が触れあって鳴る。 
白い宝珠は露が凝ったかと思われ、赤い宝珠は血の滴りのようだ。
これらの宝珠が仏の髻の上でつながって、合して七宝冠になっている。
白琉璃の二箇の宝瓶があって、その色は秋水のように寒く感じさせる。
瓶のなかの仏骨は、まるくて金丹のようである。
いつの時代の玉笛かしれないが、天人がこの寺にほどこしたのだ。
吹けば秋の鶴のこえそっくりで、仙人をも呼びおろすことができそうだ。
ちょうど秋のまんなかで、三五十五夜の月がまるい。
本堂の三つの門が開かれて、明月がその正面にあたっている。 月光と宝物の光とが照らしあって、あざやかな光の美をきそう。
人の心や骨を照らして冷静にさせて、一晩中ねむろうとも思わなかった。
あけがた南塔への路をゆくと、みだれ茂った竹が美しい。
竹林はおくぶかくて人に逢わず、寒蝶がひらひらと飛んでいた。
名もしらぬ山の木の実が、道の両側につらなってみのっている。
飢えをいやすことができるというのは、摘んでなめてみればあまく酸っぱかった。
道の南側に藍谷神の祠があり、むらさきの傘や白い紙銭がそなえてある。
洪水や早魃の年には、天子の命令でおそなえをさせる。
清浄な土地なので、供物にもなまぐさ物はしないのだ。
つぎには四、五個の石が積み重なっていて、高くつき出て刀でけずったようだ。
造物者はどんなつもりで、岩の東側にこんなに積み重ねたのか。
冷ややかでなめらかで人の足跡もなく、苔が花模様のある紙のようについている。
わたしはそのてっぺんにのぼって、深さも知れぬ淵ぎわにいった。 目まいがし手足がふるえ、下を見おろせなかった。
石の下から風が吹いてきて、わたしに迫ってきた。
着物はつばさそっくりにひろがって、わたしは飛びそうになった。
また三角の峯が高くそびえ、とがっているので刀剣をあつめたようだ。
ときどき白雲が通りすぎ、これの切れめに青空が見える。
西北の方に日の落ちる時間で、夕日は赤くまんまるだ。
千里もつづくみどりの屏風の向こうに、丹砂の丸が転がりおちるかのようだ。
東南は月ののぼる時刻で、夜気はひろびろとすみわたる。
百丈の青いふちの底に、黄金の盤をうつし出したよう。
藍渓の流れは藍のような色で、昼夜とも音たてて流れてゆく。
山をめぐって流れ、俯してみると青い宝環のようだ。
ある場所ではゆるやかな流れとなり、ある箇所でははしって早瀬となる。
水の澄む一番ふかいところには、そこに棲む蛟や竜のよだれが浮かび出る。
身をよこにしてこの渓谷にはいってゆくと、石段があってけわしいものだ。
ツタカッラにつかまり垂れた木をふんで、下るとき谷の水を飲む猿をおどろかす。
雪がとぶかと思えば白サギがとび立ったので、赤いコイがこわがって錦がおどる。
まずひと休みして手を洗い口そそぎ、五体のつかれを流し去った。 浅瀬も深みもこの流れはみな澄んでいて、人間の肝脳をも照らすかのようだ。
清くて底が見えるのがうれしくて、水源をたずねたかったがわからなかった。
東の勤には怪しげな石が多く、青い玲が石だたみのように重なっている。
この石の温潤の気が外にあらわれて、璵や璠などの宝石がその間に蔵されている。
玉をよく鑑定した下和はとうに死に、よい宝石もたいてい見すてられている。
それでこれらはある時は光彩をもたらし、夜になると星や月と光をつらねるのだ。
中頂の最高峯は、天をささえる青玉のさおというべきで、
マダラネズミものぼれないのだ、わたしがよじのぼれるはずもない。 その上には白蓮池があって、白い花びらが清いさざなみをおおっていると。
名は聞いているがそこへゆけない、人間世界ではないのだ。
また一枚の石があって、その大きさは方一尺の瓦のようだ。
絶壁のまん中にさしこんであって、その下は万例の懸崖だ。
きけばむかし過去仏の迦葉が、この石上に坐して無生禅を悟ったと。
名づけて定心石といい、寺の長老が代々かたりつたえている。ひっかえしてのぼって仙人の祠に参詣したが、あたりはつる草が一面にはえている。
聞けばむかし子喬が、羽化して昇天した場所だと。
その西には薬草をさらした台があり、その向かいは霊草の畑である。
今でもときには明月の夜に、仙人の乗る黄鶴のこえが上の方でするそうだ。
つぎには画竜堂をたずねてゆくと、白髪まじりの二人の老人の絵があって、
この二人が法話を聞いて、歓喜して壇にむかって礼拝し、
そのあとまた泉の中のほらあなに帰り、わだかまった竜になった話を想いだした。
階段の前には石の穴があって、雨の降るまえには白い煙がたつと。 
むかし写経する僧がいて、その身は静かで心もいっしんだったので、
雲の上とら嶋もこれに感じて、千羽もひらひらと飛び、
岩下の泉のところへ行って水をすってきて、すずりの水をそえて
一日に三回も往復して、すこしも時刻をまちがえなかったと。
その写経ができあがって聖僧といわれたがその弟子にまた揚緻というのがいた。
その蓮花の偶をよんで、百億千の数をみたした。
からだは破れてもロはやぶれず、舌はあかい蓮花のようだ。
その頭の骨は今はもう見られないが、死骸をいれた石函はまだのこっている。
また白い壁には呉道子の絵があって、その筆と色彩とは昔どおりあさやかだ。 
白い風に褚遂良の書があって、その墨色はいま乾いたばかりのようだ。
このように霊境と異跡とは、のこらず見てまわった。 
ここに遊んで五昼夜で、帰ろうと思いながらまだうろつく。
自分はもともと山家そだちだが、誤って世間の風習にひきつけられた。
むりに本をよまされ、他人のひきたてで役人にならされた。
進士の試験に及第し、また君主を謝める左拾遺の職をあたえられた。
しかし世事に拙ぐ愚直で時勢にあわず、世を益することなく俸給はただどり同然だ。
これゆえ自分でも恥じおそれ、いつも喜びすくなく憂いている。
なに一つ成したことなく心力が尽き、老いないうちにからだがおとろえた。
こんど官位をはなれて、はじめてうれいからのがれた思いだ。
山水の遊びをしはじめて、いよいようとく頑固な本性を発揮できた。
野生のシカがきづなを切って、自由に行動したわけだ。
また池の魚が放たれて海にはいったのと同じで、一度去ったらいつかえろう。
わたしは身に居士の衣をつけ、手には莊子の南華経をもとう。
最後はこの山に来てとどまり、永久に世間との俗縁をたとう。
わたしはいま四十何歳で、これからは一生ひまでいよう。
もし七十歳まで生きられるとしたら、まだ三十年はあることになる。
<End Translation>
<Formatted Translation>
元和九年の秋、
八月の上弦のころ、 
わたしは悟真寺に遊んだが、
寺は玉順山にある。
山から四、五里のところで、
まず谷川の水のせせらぎを聞いた。
ここから車や馬をすて、
はじめて藍渓の曲がりをわたった。
わたしは手に青竹の杖をつき、
白い石の多い瀬をふんだ。
だんだん見はらしがひろくなり、
耳にも俗世間の雑音がきこえなくなった。
山下から山上をながめると、
はじめは登れないかと思った。
ところが中に路があって、
折れ曲がって岩の頂に通じていたのだった。
まず旅さおのところで休憩し、
二度めは石の厨子のところで休んだ。
厨子は一丈あまりの間口で、
入口には扉もない。
のぞきこんだが気はなく、
シダがおさげのように垂れている。
中から白いコウモリが驚いて飛び出し、
ならんで飛ぶさまは吹雪のようである。
ふりかえって寺の門の方を見ると、
青い崖の間に朱ぬりの建物がある。
山腹を切りひらいて、
そのあいだに寺を建てているのである。
門をはいると平地はなく、
地面はせまく広いのは空だけである
山房や廻廊や台や殿堂は、
山の形勢にしたがって上下に建てられている。
岩や崖には一つまみの土もなく、
樹木もやせて堅いのばかりだ。
根や株は石を抱いて長くのび、
まがりくねって大蛇がわだかまっているようだ。
松や桂が行列などにならないではえ、
春夏秋冬いつもこんもりと茂っている。
枝をわたる風は清らかな音をたて、
風が琴をひいているようだ
日や月の光は下までとおらず、
枝かげがまじりあっている。
物かげで鳥が時どき鳴くが、
そのこえは寒せミそっくりだ。
わたしはまず賓位亭で休憩したが、
坐っていてなんだかおちつかない。
やがて北の戸をあけると、
遠くまで見晴らしがひらけている。
軒には虹がうすくかかり、
棟をば雲がとりまいている。
照るかと思えば夕だちがして、
一つの川の流域で晴れたところと曇ったところがある。
平野の緑色のところは草や木がむれているからで、
長安地方は一望だ。
渭水は細すぎて見えず、
漢の諸帝の慶はこぶしより小さい。
来る時の路をふり返ってみると、
うねうねした小路が朱の欄干と相映じている。
山にのぼって来る人はありありと、
一人一人がわかる。
この亭の向かいには多宝塔があって、
その軒の四方には風鈴がちりちりと鳴っている。
ヒジキやマスガタや戸や窓は、
金と青と色彩が調和している。
きけば「むかし迦薬菩薩が、
ここで涅盤にはいられた」とのことだ。
 いかにもその鉄鉢がいまだにあって、
底には手のあとがついている。
西には玉像殿が建っていて、
白い仏像がおごそかにならんで立っている。
塵によごれた衣をはらって、
氷や雪のように清らかなお顔に拝礼した。
この仏たちは霜をたたんで袈裟とし、
雹を華鬘としているかのよう。
近よって見ても鬼神の手に成るかと思われる、
人間の彫刻とは信じられない。
次に観音堂にのぼったが、
ゆく途中でもう梅檀香のにおいがした。
階段をのぼると履をぬぎ、
つつしんで荘厳な席にのぼった。
六本の柱には玉の鏡がならべられ、
満座に金や螺鋼が敷きつめてある。
暗夜でもあかるく、
灯燭をつけなくてもよいのだ。
多くの宝物が上下にならべてあり、
碧玉の佩や珊瑚の幡がある。 
風が吹いてくると天上の音楽のように、
これらの宝物が触れあって鳴る。 
白い宝珠は露が凝ったかと思われ、
赤い宝珠は血の滴りのようだ。
これらの宝珠が仏の髻の上でつながって、
合して七宝冠になっている。
白琉璃の二箇の宝瓶があって、
その色は秋水のように寒く感じさせる。
瓶のなかの仏骨は、
まるくて金丹のようである。
いつの時代の玉笛かしれないが、
天人がこの寺にほどこしたのだ。
吹けば秋の鶴のこえそっくりで、
仙人をも呼びおろすことができそうだ。
ちょうど秋のまんなかで、

三五十五夜の月がまるい。
本堂の三つの門が開かれて、
明月がその正面にあたっている。
月光と宝物の光とが照らしあって、


あざやかな光の美をきそう。
人の心や骨を照らして冷静にさせて、
一晩中ねむろうとも思わなかった。
あけがた南塔への路をゆくと、

みだれ茂った竹が美しい。
竹林はおくぶかくて人に逢わず、
寒蝶がひらひらと飛んでいた。
名もしらぬ山の木の実が、
道の両側につらなってみのっている。
飢えをいやすことができるというのは、
摘んでなめてみればあまく酸っぱかった。
道の南側に藍谷神の祠があり、
むらさきの傘や白い紙銭がそなえてある。
洪水や早魃の年には、
天子の命令でおそなえをさせる。
清浄な土地なので、
供物にもなまぐさ物はしないのだ。
つぎには四、五個の石が積み重なっていて、
高くつき出て刀でけずったようだ。
造物者はどんなつもりで、
岩の東側にこんなに積み重ねたのか。
冷ややかでなめらかで人の足跡もなく、
苔が花模様のある紙のようについている。
わたしはそのてっぺんにのぼって、
深さも知れぬ淵ぎわにいった。
目まいがし手足がふるえ、
下を見おろせなかった。
石の下から風が吹いてきて、
わたしに迫ってきた。
着物はつばさそっくりにひろがって、
わたしは飛びそうになった。
また三角の峯が高くそびえ、
とがっているので刀剣をあつめたようだ。
ときどき白雲が通りすぎ、
これの切れめに青空が見える。
西北の方に日の落ちる時間で、
夕日は赤くまんまるだ。
千里もつづくみどりの屏風の向こうに、
丹砂の丸が転がりおちるかのようだ。
東南は月ののぼる時刻で、
夜気はひろびろとすみわたる。
百丈の青いふちの底に、
黄金の盤をうつし出したよう。
藍渓の流れは藍のような色で、
昼夜とも音たてて流れてゆく。
山をめぐって流れ、
俯してみると青い宝環のようだ。
ある場所ではゆるやかな流れとなり、
ある箇所でははしって早瀬となる。
水の澄む一番ふかいところには、
そこに棲む蛟や竜のよだれが浮かび出る。
身をよこにしてこの渓谷にはいってゆくと、
石段があってけわしいものだ。
ツタカッラにつかまり垂れた木をふんで、
下るとき谷の水を飲む猿をおどろかす。
雪がとぶかと思えば白サギがとび立ったので、
赤いコイがこわがって錦がおどる。
まずひと休みして手を洗い口そそぎ、
五体のつかれを流し去った。 
浅瀬も深みもこの流れはみな澄んでいて、
人間の肝脳をも照らすかのようだ。
清くて底が見えるのがうれしくて、
水源をたずねたかったがわからなかった。
東の勤には怪しげな石が多く、
青い玲が石だたみのように重なっている。
この石の温潤の気が外にあらわれて、
璵や璠などの宝石がその間に蔵されている。
玉をよく鑑定した下和はとうに死に、
よい宝石もたいてい見すてられている。
それでこれらはある時は光彩をもたらし、
夜になると星や月と光をつらねるのだ。
中頂の最高峯は、
天をささえる青玉のさおというべきで、
マダラネズミものぼれないのだ、
わたしがよじのぼれるはずもない。 
その上には白蓮池があって、
白い花びらが清いさざなみをおおっていると。
名は聞いているがそこへゆけない、
人間世界ではないのだ。
また一枚の石があって、
その大きさは方一尺の瓦のようだ。
絶壁のまん中にさしこんであって、
その下は万例の懸崖だ。
きけばむかし過去仏の迦葉が、
この石上に坐して無生禅を悟ったと。
名づけて定心石といい、
寺の長老が代々かたりつたえている。
ひっかえしてのぼって仙人の祠に参詣したが、
あたりはつる草が一面にはえている。
聞けばむかし子喬が、
羽化して昇天した場所だと。
その西には薬草をさらした台があり、
その向かいは霊草の畑である。
今でもときには明月の夜に、
仙人の乗る黄鶴のこえが上の方でするそうだ。
つぎには画竜堂をたずねてゆくと、
白髪まじりの二人の老人の絵があって、
この二人が法話を聞いて、
歓喜して壇にむかって礼拝し、
そのあとまた泉の中のほらあなに帰り、
わだかまった竜になった話を想いだした。
階段の前には石の穴があって、
雨の降るまえには白い煙がたつと。 
むかし写経する僧がいて、
その身は静かで心もいっしんだったので、
雲の上とら嶋もこれに感じて、
千羽もひらひらと飛び、
岩下の泉のところへ行って水をすってきて、
すずりの水をそえて
一日に三回も往復して、
すこしも時刻をまちがえなかったと。
その写経ができあがって聖僧といわれたがその弟子にまた揚緻というのがいた。
その蓮花の偶をよんで、
百億千の数をみたした。
からだは破れてもロはやぶれず、
舌はあかい蓮花のようだ。
その頭の骨は今はもう見られないが、
死骸をいれた石函はまだのこっている。
また白い壁には呉道子の絵があって、
その筆と色彩とは昔どおりあさやかだ。 
白い風に褚遂良の書があって、
その墨色はいま乾いたばかりのようだ。
このように霊境と異跡とは、
のこらず見てまわった。 
ここに遊んで五昼夜で、
帰ろうと思いながらまだうろつく。
自分はもともと山家そだちだが、
誤って世間の風習にひきつけられた。
むりに本をよまされ、
他人のひきたてで役人にならされた。
進士の試験に及第し、
また君主を謝める左拾遺の職をあたえられた。
しかし世事に拙ぐ愚直で時勢にあわず、
世を益することなく俸給はただどり同然だ。
これゆえ自分でも恥じおそれ、
いつも喜びすくなく憂いている。
なに一つ成したことなく心力が尽き、
老いないうちにからだがおとろえた。
こんど官位をはなれて、
はじめてうれいからのがれた思いだ。
山水の遊びをしはじめて、
いよいようとく頑固な本性を発揮できた。
野生のシカがきづなを切って、
自由に行動したわけだ。
また池の魚が放たれて海にはいったのと同じで、
一度去ったらいつかえろう。
わたしは身に居士の衣をつけ、
手には莊子の南華経をもとう。
最後はこの山に来てとどまり、
永久に世間との俗縁をたとう。
わたしはいま四十何歳で、
これからは一生ひまでいよう。
もし七十歳まで生きられるとしたら、
まだ三十年はあることになる。
<End Formatted Translation>